六区ブロードウェイ商店街振興組合


  

団体名
六区ブロードウェイ商店街振興組合
HP http://welcometaito.jp/syouten/asakusa-18/

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すしや通りとひさご通りを結ぶ浅草六区のメインストリートである「六区ブロードウェイ商店街振興組合」。
その歴史は古く、「六区」の名前が生まれたのは、明治政府が浅草寺を公園地とし、明治17年に浅草公園を六区画に分割した際、同地が六区と制定されたことから始まります。明治20年には浅草オペラの発祥地となった「常盤座」や、明治36年には日本初の映画館「電気館」が開館。その後、昭和に入り松竹座など30館以上の劇場や映画館が生まれ、日本有数の興行街として発展。渥美清や萩本欽一、ビートたけしを輩出した「浅草フランス座」は、後に「浅草フランス座演芸場 東洋館」と改称され、現在でも人気を博しています。
高度経済成長期以降は、テレビの普及などもあり、劇場や映画館が相次いで閉館になるなど一時期の勢いは失われ、危機感を持った地元の人達が平成3年に「六区ブロードウェイ商店会」を立ち上げます。平成8年には大衆芸能をテーマに「六芸神」のモニュメントを設置。浅草六区誕生130周年となる平成25年には「浅草六区再生プロジェクト」が誕生。プロジェクトの一環として、平成26年に「浅草六区ゆめまち劇場」で「浅草映画セレクション」を上映、平成27年には全国の名産品が集結する「まるごとにっぽん」が開店、新たな名所となります。
その翌年、エンターテイメントで「興行街」復活を目指そうと、国家戦略特区事業認定に向けて「浅草六区オープンカフェ」を開催。今年1~5月の週末にも開催され、通りにはカフェやキッチンカーが並び、大道芸などがおこなわれ、多くの人々で賑わいました。また、毎年夏には、六芸神のモニュメントにちなんだ「六芸神まつり」を開催、群馬県桐生市と提携した「桐生八木節まつりin浅草」など、独自色あふれるお祭りも好評です。
大衆演劇の灯を消さないよう街を盛り上げていきたいと語る理事長の熊澤さん。「商店街の名前はニューヨークのブロードウェイからもらってね。ブロードウェイのようにいろんな人が集まる新たな大衆芸能の街をつくるべく試行錯誤しています」。
芸人魂が息づく街「六区ブロードウェイ商店街」に、ぜひいらして下さいね。

※記事は2017年12月時点のものです。


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